「勉強」の意味が深すぎる。人間はずっと勉強していくことで価値が出る。

スポンサーリンク

キヨスイ(@kiyosui_goraku)です。

 

来週の半ばまで勉強週間なので、ちょっと大変。

ブログも停滞中でございます。そんな中でこんなこと考えていました。

 

勉強は一生していくんだろうな。 

加齢というものは誰もが避けられないことです。

年をとるに連れて、体は衰退していく。40代以降なんか下降していく一方。ってよく言われていますからね。

どんなに寿命が伸びようが、衰退していく事実は現代のテクノロジーでは避けられません。

体は衰退していきますが、新しい知識をつけることができるのが人間。

もちろん70歳、80歳になって認知症になってしまったら、不可能ですが。

そういったことを除けば、勉強していくことで体と真逆のことをできます。

 

この「勉強」というもの。しなくなったら、衰退していくだけのツマラナイ人生が40歳以降に待っているとも考えられる。

これを考えると恐ろしい...

 

知識をつけることだけが勉強ではない。

机上でやるタイプの勉強。問題を解いたり、本を読んだり。

これらをやることで知識がつくことは間違いないです。誰がなんと言おうと勉強でしょう。

知識をつけることだけでは、勉強は完了しません。

 

体験するということ。知識と真逆の勉強方法ですね。

 

この2つが存在しないと勉強は成立しないんですよね。

どちらひとつが欠けても勉強は完了しない。

人間って割と体験の方の勉強をお粗末にしがちで、人間というか日本人かな。

これって幼少期の義務教育が影響しているところがあるのかな?とは僕は考えています。

学生時代って机上の勉強が正義!みたいなところあるじゃないっすか。体験よりテスト!みたいなところ。 

この影響もあるのか?ないのか?わからないけど、体験をお粗末にしている印象が強い。

実際に僕も体験をお粗末にしてしまうことがある。

 

興味、関心、好き。これがないと勉強は成立しない。 

ここですよね。一番重要なのは...

知識、体験の両方を取り入れた勉強というものは、かなりパワーを使います。根気なんかも必要ですよね。

 

好きなことじゃないと続けられなくないっすか?

 

少なくとも僕は無理です...

というかやっても無駄な時間ばかりを使ってしまい、吸収率、実行率が極端に下がります。

 

日本人たちはなぜ「苦手を克服させようとするのか?」苦手があってはいけないのか?

 

僕は今、苦手なことをやらされている局面にいます。

ポジティブにとれば、こんな方向へもとれますが...

関連記事:苦手意識をなくす。違うよ苦手かどうか、確認しにいった方が断然早いよ。

 

やってみたところやっぱり苦手。好きじゃない。

確認できたことは、大きな収穫ですが。確認後はやる必要がないです(笑)

が、やらされている...(笑)まぁ今年いっぱいの辛抱ですかねぇ。

 

これも体験としては、いい勉強になったので未来に役立てるデータとして、しっかりと絶対に忘れず持っておきます。 

 

勉強の大切さの本質って幼少期に気づけない。

ここまで、色々な側面から勉強の大切さを語ってきましたが。

幼少期に気づけないんですよね。大人になってからわかることもあるし、苦手なことも体験しないとわからないし。

 

ということで、生きてて勉強していって、勉強の本質に気づくというね(笑)

これが早ければ、早いほど遠くに行けるのだな。と今さらになって気づいたところ。

 

幼少期から、しっかりと理解している人は本当にすごいなぁ...と尊敬の眼差しですね。

こういった意味の勉強は、学校じゃなくて家庭で学んでいく側面の方が強いのかな?とは思っています。

家庭持ったことないけどね!

 

僕はお世辞にも早く気づけた人間ではありませんが、気づいたタイミングから、またパワーアップした積み重ねをしていきたいです。

近道はないっぽいので、このブログのように地道に積み上げていきます。

 

最後に

「勉強」一言で言うと簡単に見えますが、いろんな意味が詰まっていて一言じゃもったいないくらいの意味が入っている。

 

辞書とかの「勉強」の項目5つくらいに増やしてもいいじゃね?って思うくらいです。

辞書にも乗ってないない勉強のお話でした。

 

それでは、また。